銀狐の時空読書旅行

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京の古の花街、島原に残る時代を超えた「粋」な空間

京都を歩く時に無意識のうちに探してしまうのがカランコロンと下駄音を響かせて歩く舞妓さんや芸妓さん。所作や雰囲気も含め全てが美しいその姿を一目見れたら嬉しいなと思いながらもそんなお店に行けるようなお金もつてもない私は、道端で観光客が仮装している舞妓さんを見つけては残念な気持ちになるのでした。京都の五花街というと、上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、そして宮川町です。 しかし京都にはもう一つ今は営業されていない古の花街島原があるのです。島原はその昔は京都を代表する花街のひとつであり現在でも随所にその面影を残します。営業されていないがゆえに博物館として展示が行われているので元店内にも入ることができます。

特に平成26年7月12日(土)~9月30日(火)は京の夏の旅 文化財特別公開が開催され、さらに古の花街の奥深くを見ることができました。

<花街とは何?>

遊郭と混同されることもありますが、花街唄や舞を見ながら食事を楽しむ街です。花街の遊宴の席で舞や能で接待をする女性を京都では芸妓と呼び、その最高位が太夫(たゆう)、芸妓の見習いが舞妓です。太夫はお茶、和歌、俳諧などの高い教養も身に着けていました。花街は単に遊宴だけを行う場所ではなく、唄や舞、特に和歌俳諧などの文芸活動が盛んな街だったのです。

一方、遊郭は歓楽を求める町であり、歌や舞もなく、宴会も行いません。花魁(おいらん)は遊郭で働く女性の最高位を指します。遊郭として有名なのが江戸の吉原であり、吉原は周囲に10mほどの堀を設けて入口を一つに限定し、厳しい管理を行っていました。

そして 花街には二種類のお店があります。揚屋(あげや)と呼ばれるお店は現在の料亭に当たります。料理を作ってお客さまに遊宴を楽しんで頂く場所です。一方、置屋(おけや)は太夫や芸妓を抱え、宴会がある時に揚屋に派遣します。そのため、夕方には客からの招きにより太夫が置屋から揚屋への道を歩く、太夫道中と言った風景が見られました。 ちなみに揚屋は「一言さん(いちげんさん)」(初めて来たお客さんで誰からも紹介がない方)を迎えることがなく、支払いは「つけ」(その場で支払いを行わず後日まとめて支払う)のみで現金決済を行いませんでした。

<輪違屋と角屋、現在の島原>

さて、日本最古の花街、島原の東入口に当たる島原大門に到着しました。大門は今でも残存しており、柳の木とともに昔の風景をとどめています。

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島原には置屋の輪違屋(わちがいや)、揚屋の角屋(すみや)があります。 輪違屋は何と創業320年、何と今でもお茶屋として営業を続けています。なお現在の建物は1857年に再建されたものです。

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しっかり、一見さんお断りの看板もあります。今の時代も輪違屋に入るためには紹介が必要なのです。

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さてここからが特別公開!お客様しか入れない2階のお座敷に入れるのです! まず驚いたのは、デザインの斬新さです。傘を襖に貼り付けてある「傘の間」、壁に本物のモミジを塗り込んで形と作った「紅葉の間」、実際に見るとため息が出るくらいお洒落な空間です。こんな粋な部屋で美しい芸妓さんの踊りを見ながら美味しいご飯を食べれたら。庶民には夢のまた夢ですが、その片鱗は少ーし味わうことが出来ました。あぁでもいつか客として行きたい。(写真禁止だったのでぜひ想像して下さい。。)

1階のお座敷、「主の間」には新選組の近藤勇の書を仕立てた屏風や、芸妓さんが意中のお客様に当てて書いた手紙の下書きが飾ってあります。さすが教養のある女性たち。とても達筆です。

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輪違屋で見た座敷の美しさの余韻を残しながら、数100m離れた角屋へ。角屋は桶屋なのでお客様が集まる宴会場だったところです。現在営業はしていませんが、「角屋もてなしの文化美術館」として、角屋の建物自体と所蔵美術品等の展示を行っています。

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宴会場ということで、大きな台所があります。釜戸の多さや冷蔵庫として使われた石穴の広さは当時の大規模な宴会を思い起こさせます。さぞ美味しい御膳が美しいお椀にのって届けられたのでしょう。

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玄関口にはお侍さんの刀を預かる刀箪笥もあります。宴会場ではみな刀を置いて一時休戦するのが暗黙の了解だったようですね。 明治維新の立役者、西郷隆盛が身体を洗っていたという桶もあります。角屋では様々な政治家たちによる歴史的な会談が行われていました。門の近くには新選組がつけたとされる刀傷もあります。余談ですが、島原では新撰組は我が物顔で街を闊歩する乱暴者集団というイメージで評判は悪かったみたいですね。 さて、角屋の一番の見所は、一階の奥にある「松の間」です。ここはお客様が宴会の前に集まって、歌を読んだり互いに交流したり、現代で言う文化サロンのような場所。でした。

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松の間から眺める庭と臥龍松(がりゅうまつ)と呼ばれる雄大な松は角屋を訪れる文人、画人たちの良い題材となったことでしょう。襖絵は岸連山筆「桐に鳳凰の図」です。その他、重要文化財に指定された与謝蕪村の「紅白梅図屏風」をはじめとした所蔵美術品の豪華も見所の一つです。

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明治維新以降、大型宴会の需要がなくなるとともに、立地条件が悪かったこともあって、島原は衰退し、それからは祇園が花街の主役となって行きます。しかし、現在にも残る遺構の数々はかつて栄えていた文化人の街、島原を感じさせました。

<島原へのアクセス>

輪違屋 JR嵯峨野線「丹波口」駅下車徒歩約7分 市バス206系統(千本通方面行)で「島原口」下車徒歩約7分、もしくは市バス205系統(西大路通方面行)で「梅小路公園前」下車徒歩約7分 角屋 地下鉄烏丸線「北大路」駅乗換、市バス北1系統「土天井町」下車徒歩約5分